『群馬評論』98号、群馬評論社、2004年4月

エコノミックウインドウズ その11

一体マネーはどこに消えた

-冷え込みつづく経済と累増する国債-

  
山 田 博 文





はじめに

最近、よほどのことがあっても、もうあまり驚くことがなくなった。いや、ボケているのではない。歴史的な大事件が、いろいろな分野で頻繁に起こっているからにほかならない。
新聞やテレビで報道されているように、戦後史の「禁」を破った自衛隊の海外派兵などは、その一例ともいえる。でも、この事件は、活字でも、映像でも、白昼に繰り返し報道され、多くの人々に伝えられている。
他方、あまり目立たないのに、というか、味気ない数字で報道されているが、実は、現在と将来の国民生活を根底から脅かす事態が、静かに深く進行している。しかもやっかいなことに、そんな事態に限って、メカニズムも複雑なうえに、盛りだくさんの難解な用語を身にまとい、その本性を簡単にはみせてくれない。
そんな事例の一つが、経済やマネーの動向のようだ。「デフレ克服!」、「経済活性化!」、「やります!構造改革」、といった勇ましい進軍ラッパのようなスローガンの影で、今なおつづく経済不況やマネーのゆくえを探ってみよう。

経済活動に必要なマネーは銀行から供給される

世界第2位の経済大国の経済活動で必要とされるマネーは、日本銀行を頂点にした各種の銀行から、企業に対して供給(貸付・手形割引)される。近代の経済(資本主義経済)では、何をおいてもマネーなしには、経済活動も生活も成り立たないシステムになっている。
経済活動を営む企業や個人が銀行を利用するのは、手元の余裕資金を預金するだけではない。資本主義経済の下では、あらゆるビジネスは、マネーのやりとりをともなって成立しているので、財やサービスの生産・販売・消費を担う企業や個人は、自分名義の銀行預金の口座のネットワークを介して、マネーを借り入れ、受け取り、支払い、振り替えたりして経済活動を営んでいる。
銀行によって供給され、企業や個人がもっているマネーの量は、マネーサプライ(通貨供給量)と呼ばれ、それは現金や預金の量によって表示される。
一般に、景気回復を先導するのは、企業の新規設備投資であることから、この新規投資に必要とされるマネーが十分供給されているかどうかは、景気回復にとって重要な先行指標となる。
この新規投資のための資金は、企業の手元資金の範囲で賄われるのではない。むしろ、いままでの稼ぎにあたる手元資金の規模を超えて、銀行からの借入によってマネーが調達され、借金を先行させて新規の設備投資がおこなわれることで、一層の景気回復と経済成長が期待される。

金融緩和政策によって景気を刺激

日本銀行は、中央銀行として、すべての民間銀行の頂点に位置し、供給されるマネーの量やその値段(利子)を調節する。景気回復を意図する金融政策では、日銀は、企業が借りやすいような安価なマネーを供給しようとして、マネーの値段(利子)を政策的に引き下げる。そのやり方は、マネーの供給元の日銀から民間銀行に貸し出されるマネーの利子(これが公定歩合である)を引き下げてやることである。近年、この公定歩合は、歴史的にもあまり例のない0.1%にまで引き下げられている。まさに日本経済は、ゼロ金利のタダ同然のマネーが行き交う超金融緩和状態にある。
民間銀行にとっては、マネーの供給元の日銀から、安価なマネーを借りられるので、企業や個人に対して利子負担の軽い安価なマネーを貸し出すことができる。景気回復の先導役の企業は、銀行から安価なマネーを借りられるので、新規設備投資のための資金を大量に借り入れ、工場やオフィスを拡張し、原材料・資源や各種の設備を購入し、多くの人を雇うようになり、景気は徐々に回復軌道に乗っていく。
以上が、戦後日本経済の成長を支えた金融政策とその波及メカニズムであった。ところが、近年、このメカニズムが働かなくなり、景気回復策のシナリオに破綻が生じている。この従来型のシナリオに依存するエコノミストたちは、金融緩和の程度が足りないから、景気が良くならない、デフレから脱出できない、という。いや、そうではない。

大車輪の日本銀行ー未だかつてないマネーを供給

近年ほど巨額のマネーが、マネーの発行元から供給されている例は、それこそ歴史的に見ても、ほとんど例がない。日本銀行は、大車輪で、民間の金融機関(銀行)にあふれかえるほどのマネーを供給しつづけている。
しかも、公定歩合を操作する、といった間接的なやり方でなく、日銀から民間銀行に対して直接的にマネーが供給されている。そのやり方は、日銀が、民間銀行の保有する国債を買い取る(国債の買いオペ)ことで、その買い取り代金分のマネーを、直接、銀行に供給する、というやり方である。これは量的金融緩和政策(図1)ともいわれる。
まず、日銀が銀行から国債や手形を買い取り、その代金を民間銀行の日銀当座預金口座に振り込む。日銀当座預金は、ほとんどの民間金融機関が日銀内に保有する預金口座であり、この口座を利用してあらゆるマネーのやりとりが最終的に処理される。ほぼ500兆円の規模の日本経済は、日銀当座預金口座にあるマネーによって担われている。一日当たりで必要とされる日銀当座預金の残高は、ほぼ4兆円である。ところが、現在では、その8倍にもあたる27〜32兆円のマネーが日銀によって供給され、民間金融機関は、日銀からあふれかえるマネーを受け取っている。
日銀当座預金には利子が付かないので、民間金融機関は、このあふれかえるマネーを貸し出しに向けたり、投資に向けたりして利益を追求しょうとする。量的金融緩和政策の狙いも、そこにあった。銀行は企業や個人に潤沢な貸し出しを行うようになり、マネーは景気回復に役立つにちがいない、と予測されていた。だが、この予測は間違っていた。

銀行のマネーは国債投資へー空洞化する金融

では、景気回復のために、日銀から民間銀行に供給されたあふれかえるマネーは、一体どこに消えてしまったのか。
それは、政府の発行する国債の購入に向かっていた。超金融緩和を推進しているのに、景気回復につながる企業への貸出は、逆にますます減っているのに、銀行の国債保有高はますます増大しているからである(図2)。
 現代日本では、新発債と借換債を合わせると、年間100兆円を超える大量国債が発行されている。確定利子付きの国債は、経済不況の下で、収益をあげにくい銀行にとって、格好の投資物件になっている。
政府が予算の中から半年に一回利子を支払うことを確定した国債は、倒産によって紙くずになるような民間の株式や社債と違い、リスクの少ない安全で信用度の高い金融商品とみなされる。また、民間銀行にとっては、日銀が保有国債を買い取ってくれるので、近年のようなバブル化した国債市場のもとでは、国債の売却益を獲得できる。
大量国債の発行にともなう国債の消化先問題に頭を悩ませる政府・財務省にしても、銀行がこぞって国債を購入してくれることは、発行計画の円滑な実施を約束してくれる。
他方、銀行からの借入を期待する地場産業や資金繰りに悩む企業には、マネーが回ってこず、経済の地盤沈下が進む。マネーが国債を軸に自己回転し、経済活動を支えないで、金融が空洞化している、といってもよい。
そのためか、国債という政府の借金は、いま、約450兆円に達している。財務省は、国民一人当たりに換算すると、約353万円、四人家族なら、約1413万円の借金であり、現歳出入構造を放置すると、2016年度には、国債発行残高が現在のほぼ2倍の900兆円になる、と試算している

注:図は省略しています

【やまだ ひろふみ・群馬大学教育学部教授】
    (e-mail : yamachan@edu.gunma-u.ac.jp)